音楽と人生に関する一考察

RCサクセション [シングル・マン]

シングル・マン シングル・マン
RCサクセション
1976



やさしさ
誰も優しくなんかない
思い違い
ひとりよがりの
ぼくは優しくなんかない
ずるい人だ 君は
(ずるい ずるい ずるい)

責任逃れ
君の荷物さ
それは 
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくのじゃない
ぼくに背負わせないで

誰も優しくなんかない
君と同じさ いやらしいのさ
誰も優しくなんかない
だからせめて
汚いまねはやめようじゃないか

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どん底時代の清志郎。このアルバムの白眉はやはり、せつないまでの名曲『スロウ・バラード』、そして泣かずにいられない『ヒッピーに捧ぐ』。それから突き刺さるほどの痛切な叫び『甲州街道はもう秋なのさ』。いつまでも聴き継がれていくべき名曲だと思う。
けど、僕の大好きな清志郎は、「誰も優しくなんかない 君と同じさ いやらしいのさ」(やさしさ)や「贈り物をくれないか・・・つまらないものはゴミ箱に捨てるぜ」(ファンからの贈り物)みたいな、世の中のことを真正面から捉えて、まるで“裸の王様”の少年のようにストレートに言葉にしてしまう真っ正直さ。

思春期に清志郎さんのこんな態度にずいぶん影響を受けたせいで、今も自分に真っ正直に何を臆する事もなく自分らしく生きられていると感謝しているのですが、同時にずいぶん敵を多く作ってしまった気もするのです、まぁいいや、「僕は僕のために」だもの。ハハハ・・・笑ってごまかすゼ。

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♪ヒッピーに捧ぐ (1989年日比谷音楽堂)

友部正人 / にんじん

にんじん にんじん
友部正人
1972



♪にんじん
ダーティー・ハリーが歌うのは 石の背中の重たさだ
片目をつぶったまま年老いた いつかの素敵な与太者の歌
その昔 あんたにも 生きるだけ精一杯のときがあったはず
あげるものももらうものも何もないまま
自分のためだけに生きようとした

歌う僕は 汚れた歯茎 ルーム・クーラーの湿った風をかじっている
夕べ彼女は 最後の汽車で 南の町へ行ってしまった
夢はなかったけれど 時には泣きたいほど優しかったよ
僕は夜のセーターに首を絞められ
塩っ辛い涙流してる

どうして君は行ってしまうんだい
どうして君はさよならって言うんだい
どうして君は行ってしまうんだい
どうして僕はさよならっていうんだい
こうしてにんじんみたいに 手足を生やしてると
まるで何もかも 悲しいみたいだよ

そうしてみんな昔懐かしい
おじいさんになってしまうのかな
そのうちみんな昔懐かしい
おじいさんになってしまうのかね

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このアルバムで歌われる、友部正人の強烈なまでに絶対的な孤独感や社会への違和感。集団からはみだしてしまった疎外感ではなく、まるで生まれたときから背負っているような「独り」であることの意識。それがこの人の表現の核にはいつもある。誰にも頼らない、徹底的に「独り」であるからこそ、「今夜はずっと一緒にいようよ」みたいなセリフが吐けたり、 「トーキング自動車レースブルース 」のような大騒ぎに盛り上がったり、「にんじん」のように改めて襲い掛かる孤独感に戸惑ったりもする。
それにしても、この人の詩のインパクトやイメージの広がらせ方のすごさには感服します。
「僕は夜のスカートに首を締められ 塩っ辛い涙流してる」「手足の代わりに尻尾を生やしてる ふーさん」「あんまり長くひとりぼっちでいて 唇もこんなに傾いてしまった」「あぁ中央線よ空を飛んで あの娘の胸に突き刺され」・・・そんな、よく考えたら意味はないのかもしれない、けど確実にイメージが直接的に伝わる抽象表現。それから、連合赤軍がつかまった日のことを歌った「乾杯」での描写。ディランの英語が英語で理解できたらこんな感じなのかも知れないなぁ。

それと、特筆しておくべきは、友部のギターとハーモニカの表現力。ほぼ一発録音のレコーディングでミスもあるし歌ははずれまくりだが、「長崎慕情」の汽車の音に模したギター、汽笛の音に模したハーモニカ。「乾杯」や「トーキング自動車レースブルース」のトーキングブルースでのバッキングなど、歌の世界を、他のアレンジが不必要なほど完璧に表現している。

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♪一本道
ふと後ろを振り返ると そこには夕焼けがありました
本当に何年ぶりのこと そこには夕焼けがありました
あれからどのくらい経ったのか
あれからどのくらい経ったのか

ひとつ足を踏み出すごとに 影は後ろに伸びてゆきます
悲しい毒は遙かな海を染め 今日も一日が終わろうとしています
「しんせい」一箱分の一日を 
指でひねってゴミ箱の中

僕は今阿佐ヶ谷の駅に立ち 電車を待っているところ
「何もなかったことにしましょう」と 今日も日が暮れました
あぁ中央線よ 空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され

どこへいくのか この一本道 西も東も分からない
行けども行けども見知らぬ街で これが東京というものかしら
尋ねてみても誰も答えちゃくれない
だから僕ももう何も尋かないよ

お銚子のすき間から覗いてみると そこには幸せがありました
幸せはほっぺたを寄せ合って 二人お酒を飲んでいました
そのとき月が話しかけます
もうすぐ夜が明けますよ

さだまさし / HAPPY BIRTHDAY

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Only SINGLES~さだまさし シングル・コレクション~ / さだまさし
1979


誰にだって一つや二つ 
心に開かずの部屋がある
一生懸命生きているのに 
傷を恥じることなどないさ

雨が降る日に気になるものは
雲の大きさばかりだけれど
空の広さに比べれば
別に大したことじゃない

だからHappy Birhthday Happy Birthday
昨日までの君は死にました おめでとう おめでとう
明日からの君のほうが 僕は好きです おめでとう

幸せなんて言葉もあるが
人それぞれに秤が違う
人は人だしあんたはあんた
別に気にすることなどないさ

雨が降る日は天気が悪い
雲には雲の行く先がある
空は確かに広いけれど
心の広さと比べてみるかい

だからHappy Birhthday Happy Birthday
昨日までの君は死にました おめでとう おめでとう
明日からの君のほうが 僕は好きです おめでとう

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生まれて初めて自分のお金で買ったレコードは、さだまさしの「道化師のソネット」のシングル盤だった。確か1979年。そのB面に入っていたのがこの曲だった。
その年齢なりには「良い曲だなぁ」と思って気に入って聴いていたのを覚えているけれど、本当にこの詞の深さがわかっていたわけではもちろんなかった。
「昨日までの君は死にました おめでとう」なんてね。昨日までの自分を殺してしまうのは大げさだけど、そこから始まる「新しい自分」に「誕生日おめでとう」って。もちろんそう簡単に「新しい自分」になんてなれっこないけれど、だからこそノーテンキにマイペースにおおらかに歌ってしまったもんの勝ちなんじゃないかな、なんて、思う。

さだ氏はコンサートでこの歌を歌うとき「僕たちは毎日が誕生日」とコメントしていました。僕らは毎日、生まれ変わり続けている、ってこと。毎日、生まれ変わり続けている。昨日の自分と今日の自分、今日のあなたと明日のあなた、毎日少しずつ記憶を更新しながら、毎日ほんの少しずつ違っていくのでしょう。

とりあえず、お誕生日おめでとう。
明日からの君のほうが 僕は好きです おめでとう。

松任谷由実 / 最後の春休み

SEASONS COLOURS-春夏撰曲集-SEASONS COLOURS-春夏撰曲集-
松任谷由実
1979



♪最後の春休み
春休みのロッカー室に
忘れたものをとりに行った
ひっそりとした長い廊下を
歩いていたら泣きたくなった

目立たなかった私となんて
交わした言葉数えるほど
アルファベットの名前順さえ
あなたはひどくはなれてた

もしもできることなら
この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい

もうすぐ別の道を歩き
思い出してもくれないの
たまに電車で目と目があっても
もう制服じゃない

窓の近くのあなたの机
ひとりほおづえついてみる
ふたをあけると紺のボタンが
隅のほこりにまぎれてた

もしもできることなら
この場所に同じ時間に
ずっとずっとうずくまっていたい

もうすぐ別の道を歩き
思い出してもくれないの
そよ風運ぶ過ぎたざわめき
今は春休み 今は春休み 最後の春休み

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卒業シーズンとともに懐かしい思い出がふと思い出されるように思い出したユーミンのこの歌。
卒業、って言葉そのものが、ずいぶん懐かしい響きがする。
懐かしくなって卒業した学校に遊びに行くとする。最初の一年や二年は懐かしい先生や後輩や自分と重ね合わせたくなる学生の姿があったりして思い出を素直に甦らせることができる。
けれど、やがて、いつの間にか、懐かしさのあまりに卒業した場所を訪れたとしても、それは、そこが今はもう自分の場所ではなくなくなってしまっていることに気付かされてしまうだけのことだと解ってしまうのだ。
かつては自分の場所だったものが、今は自分の場所ではない、その何ともいえない寂しさをどう表現すればいいのだろう。
校舎は今もそこにある。けれど、そこにもう僕はいない。
同じ場所に同じ時間にずっとうずくまっていることなど、できはしないからこそ、そんなことわかっているからこそ、そう願ってしまうのかもしれないな。

友部正人 / どうして旅に出なかったんだ

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“1976” “1976”
友部正人
1976


どうして旅に出なかったんだ、坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ、坊や
うまく話せると思ったのかい

おまえは旅に出るよって行って出なかった
俺は昨日旅から帰ってきた奴に会ったんだ
あいつはおまえとおんなじだったよ
ただ違うのはあいつはまた昨日旅に出たけど
おまえは行かなかったのさ

どうして旅に出なかったんだ、坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ、坊や
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい

もう5年も前おまえが行きたいと思っていた場所へ
きのうあいつは出かけて行ったよ
おまえときたら昼の日中から街の銭湯で
何度も何度も自分の身体ばっかり洗っていたよ

あいつは俺に言っていたよ
さよなら またいつか会えるさって
俺はおまえの顔を見るたびに
もうこいつには会えないんじゃないかと思うのさ

どうして旅に出なかったんだ、坊や
あんなに行きたがっていたじゃないか
どうして旅に出なかったんだ、坊や
行っても行かなくてもおんなじだと思ったのかい

おまえがちっとも旅に出ないもので
俺はもうあきあきしちゃったんだよ
おまえがあんなに言っていたことも
今俺にはみんな嘘のように聞こえるんだよ

おまえが何にも言わないものだから
この街もとうとう日が暮れちゃったよ
俺は明日旅に出るよ
あいつとはきっとどこかで会えるような気がするよ

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大学4回生の春、友人が一ヶ月ほどアメリカへ単独旅行に行った。まだバックパッカーなんて流行する前の事だ。かっこいいと思った。けど帰った友人の「就職したら行かれへんからな、今いっとかんと」って言葉を聞いて、なんてかっこわるいと思った。それはちゃうやろ、と。自由を自らあきらめてしまう態度が悲しかった。僕もすぐにでも旅に出ようと思ったけどあいにく金がなかった。そして就職活動のタイムリミットだった。就職浪人なんて当時は常識の中になかったからね、就職活動なんてしたいとは思わなかった、けれどそれで人生棒に振ってしまうほどの勇気も自信もなかった。

そんなこんなでいつのまにか就職して二年半が経った。
いろんなことがルーティンになってきた。とりあえず社会なんてなんとかなるもんだということだけはわかってきた。
会社の女の子や得意先のパートさんに「俺はこんなところでパン売ってるような奴じゃないんだ。世界が俺を待ってるゼ」みたいな粋がったホラばっかり吹いていた。
元々その会社で一生働き続けるつもりはなかった。けど、人生なんてそんなもんかな、とも少し思い始めていた。

ある日、たまたま買ったこのアルバムの「どうして旅に出なかったんだ」にショックを受けた。まるでハンマーで頭30回殴られたような。「俺はまだ、何も始めていないんじゃないか・・・しかも口先ばっかりで・・・」。
背中を押されるように、会社を辞め、旅に出た。後先のことはまったく何にも考えていなかった。頭の中を「どうして旅に出なかったんだ」って友部の声がずっとこびりついていた。

大瀧詠一 / 空飛ぶくじら

アーリー大瀧詠一アーリー大瀧詠一
大瀧詠一



町角にぼくは一人 ぽつんとたたずみ
ビルとビルのすき間の空を見てたら
空飛ぶくじらが ぼくを見ながら
灰色の町の空を 横切っていくんです

そこでぼくはふと 君のこと思い出して
いそぎ足の通りを 渡るところ
空飛ぶくじらが ぼくを見ながら
灰色の町の空を 横切っていくんです

くじら くじら ららるらるらららら

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1980年代に時代を席巻した松本隆・大瀧詠一コンビが、まだはっぴいえんどに在籍していた1972年の、大瀧詠一ソロ・シングル。
良いお天気の空を眺めていたら、ふとくちずさみたくなった。
今日の空のような乾いた情景。
心地のよい孤独。
大瀧氏のちょっととぼけたようなボーカルが、松本隆の詞にはいつもある孤独感をオブラートに包む。

70年代までの日本人の紡ぎだす歌の世界は、演歌にしろフォークにしろやたらと湿っぽかった。血縁、地縁、そんなおせっかいなものがまだ機能していた或いは残骸が残っていたあの時代「町角にぼくは一人 ぽつんとたたずみ」という情景そのものが夢だったのかもしれない。孤独は日常の外にある心地よい憧れだったのではないだろうか。

70年代からそんな情景を描いていたはっぴいえんどの面々がそれぞれの場所で大きな成功を収めた80年代以降。
その頃を境に、日本人の性質は大きく変化したのだと思う。人々は、かつてあったやや重く暑苦しいような絆を放棄して、快適な暮らしと交換した。それは、良いとか悪いとかではなく時代の必然として。
いまや、この歌の描き出す、孤独で乾いた情景は、どこにでもあるありふれた景色になった。
そんな風景が当たり前の時代に育った今の若い人たちにとって、この歌はどんな風に響くのだろう。

ちなみに1972年当時の僕は、留守番が大好きな子供だった、らしい。母や、ちょっかいばっかりかける兄、泣いてばかりの弟のいない空っぽの家は、いつもと違って空気が澄んだような心地よい感じがしたのをリアルに覚えている。

泉谷しげる / 旅から帰る男たち

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都会のランナー
泉谷しげる
1979

ピッツバーグ・パイレーツの桑田真澄投手の戦力外通告から3日、退団が発表された。ジャイアンツを首になり、39歳のオールド・ルーキーとして海を渡った桑田投手の活躍は、日本中に感動の波紋を呼んだ。「40歳を目前にして」「夢に向かって」「挑戦」「ひたむき」「さわやかな笑顔」…そんな言葉がメディアに踊る。
同世代の桑田投手のことを、僕は彼が高校生1年生の夏の甲子園からずっと見てきたことになる。天才の器を感じさせた、高校生らしからぬ沈着冷静な投球。清原とのアベックホームランや涙の決勝戦、密約がささやかれたドラフト会議での巨人入り。2年めには頭角を現し、斎藤や槇原とともにエースとして君臨した3本柱時代。間違いなく200勝はすると思われたが晩年はケガに泣きリハビリに追われ、しかしサンデー桑田として見事復活。そんな一部始終を見てきた。残念ながら、お茶の間的には決して人気の高い選手ではなかった。スターとしてちやほやされた時期もあったが、どちらかといえば悪役だった。高校の時から可愛げが無かった。入団時のもやもやでダーティーヒーロー色は強まった。野球賭博疑惑や、17億もの借金だのといった汚れた話題があり、マウンドでのお祈りが気持ち悪いだの、投げる不動産屋だのと言われ、漫画ではほくろだらけの薄気味悪いキャラで描かれた。昨年の巨人を辞める時も引き際がどうだの、メジャー挑戦に期待を寄せる声なんてなかったのに、今や日本人の心の支えみたいな取り上げられ方。人の評価なんていいかげんなものだと改めて思う。
桑田投手は誰もが認める努力家だ。人に何と言われようと自らの求めるものを追求する意固地な職人。頑固な求道者。
例えば故障での手術後、ボールが投げられない期間に「ボールは投げられなくても、下半身は鍛えられる」とジャイアンツ球場の外野を芝が禿げ上がるまでただランニングし続け、桑田が走り続けた部分は「桑田ロード」と呼ばれるようになった、というエピソードがある。またプロとしては小柄な体格で戦うために、ありとあらゆるトレーニング方法の中から自分にあったものを徹底して探し、何度も何度も投球フォームを変えたりもしている。一方で頑固で理屈っぽくてプライドが高くて、自分なりの合理的な練習方法や登板に対する考え方が、サボりや首脳陣批判とも揶揄されたりもした。いわゆる体育会系的な価値観からはずいぶん離れた合理的なものの考え方は、首脳陣や仲間からは異質に映っただろうし、煙たがられもしたと思う。そして、自分が周囲から異質であることをよく知っているからこそ、彼は躍起になって結果を残そうとしたし、残し続けてきた。その結果が、持ち上げられたりバッシングされたり、そんな繰り返しの野球人生。そのたびに世間の評価は揺れ続けたけれど、今、退団を表明する彼のインタビューから感じられるのは、本当に単純に野球が好きで、野球が上手くなりたくてずっとやってきた、ただそれだけの想い。他人から見て「すごい努力」も「頑固な理屈」も、自分にとっての価値ある行為をただやってきたに過ぎないのだと思う。
世間の評価を気にしないといえばウソになるけれど、どっちを取るといえば迷わず自分の信じる方、自分がそうしたいと感じる方を選ぶ。それが桑田投手の生き方。そして、そんな姿勢に、少しシンパシィを感じるのだ。
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雨に打たれ風にも
人にさらされ顔も変わる
遠くに浮かぶ街並みも
今はただ怠けてる
深く長い夜に紛れ
目も奪われ人も変わる
新しい力さえ
信じないでひとりになる旅を

長い旅から帰る男たちがいる
旅を超えて帰る男たちがいる

足元の重い街
そこに来てしまったおまえ
まだ見ぬ幻の街
望まぬ景色にただイラつく
夜に吠える
街並みに送られて次の街へ
長い夜の始まりに
助け合う人も無い

長い旅から帰る男たちがいる
旅を超えて帰る男たちがいる

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桑田真澄と泉谷しげる。何の接点も無いけれど、異質な世界の中で頑固に自分の立ち位置を作ってきたこと、そしてその中で自分のパブリック・イメージと戦ってきたこと、剛速球へのあこがれを持ちながら繊細でクレバーなところが実は持ち味であること、そんなところに少しだけ共通点を感じたのだ。
1979年「都会のランナー」収録、傷だらけの戦いの果てにひとまず旅を切り上げる男の風景。いずれまた別の旅は始まるけれど、それは、若き日の、自分がどこへ転がっていくのか自分でも解らないような途方もなくスリリングな旅とは異質なものになるのだろう。

泉谷しげる / 翼なき野郎ども

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,80のバラッド / 泉谷しげる
1978

泉谷しげるはとらえどころのない男だ。まるで飯場の労働者のような風体、乱暴でズバズバと切りまくるもの言い。投げやりな歌い方。泉谷のパブリック・イメージは、ちょっと怪しげな荒くれた乱暴者、ひょうきんで話のわかるおもろいおっさん、みたいなところだろうけれど。
しかし泉谷の歌を聴くと、そんなイメージは照れ隠しのために作り上げたポーズだということがよくわかる。そのポーズの下に隠した、ナイーヴで心優しい素顔。
泉谷の歌は、心優しいだけではどうしようもならない都市の暮らしで、飲み込まれてしまわないための強さを獲得したい、そんな気持ちが表現の核にあって成り立っている。それを強がったり傷ついたり茶化してみたりヤケになったりしながら歌う。それが“春夏秋冬”の「やっと見つけた優しさはいともたやすくしなびた」であったり“眠れない夜”の「珍しい見世物すぐ飽きて自分だけが珍しくなってゆく」であったり“春の空っ風”の「誰が呼ぶ声に答えるものか 望む気持ちとは裏腹」であったりといったフレーズ。
そんな泉谷が、迷いとやけっぱちのベクトルから抜け出し、しなやかな力強さを表現する方向を向いたのが1978年の「,80のバラッド」。泉谷30歳のとき。まるで『明日なき暴走』の頃のスプリングスティーンのように、都市の夜の底を疾走するスピード感と力強さに溢れている。歌われた歌詞の意味などもはやよくわからないフラッシュするイメージの羅列としなやかなリズムが、心のうちから湧き上がるようなエネルギーをくれる。

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火力の雨降る街角
謎の砂嵐にまかれて
足取られやくざイラつく午後の地獄
ふざけた街にこそ家族がいる

こんな街じゃ俺の遊び場なんか
とっくに消えてしまったぜ
なのに風にならない都市よ
何故俺に力をくれる?

あぁイラつくぜ
あぁ感じるぜ
とびっきりの女に会いに行こう
とびっきりの女に会いに行こう

ふざけたこの街で何しよう?
働いて食って寝るだけの窓
土曜の夜は女といなくちゃ寂しいぜ
ヤニだらけの俺のピンボール

こんな街だから
何もしなくてもイラつく
風にならない都市よ
何故俺に力をくれる?

あぁイラつくぜ
あぁ感じるぜ
とびっきりの女に会いに行こう
とびっきりの女に会いに行こう

地鳴りする都市よ
何故俺に力をくれる?
風にならない都市よ
何故俺に力をくれる?

あぁ感じるぜ
あぁ燃えてくるぜ
とびっきりの女に会いに行こう
とびっきりの女に会いに行こう

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都市で生き抜くために必要なもの。
多少のことで折れたりしない鋼のようなしなやかさ。
思いつめれば折れてしまうから、思いつめないためのフットワークの軽さ。
その軽さを支える、マグマのように湧き上がるエネルギー。
そのマグマを支えるのは、 今、ここに在ることへの確信。
では、その確信を支えるのものは?

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泉谷しげる with LOSER デトロイト・ポーカー(横浜国立大学)

RCサクセション / 九月になったのに

楽しい夕(ゆうべ)に楽しい夕(ゆうべ)に
RCサクセション



九月になったのに 
いいことなんかありゃしない
九月になったのに 
何も変わりゃしないのさ
相変わらず蒸し暑いし
相変わらず夜は眠れない
相変わらずだよ

九月になったのに 
大嫌いな夏が続いている
九月になったのに 
暑苦しい毎日さ
相変わらず汗をかきながら
相変わらず歌っています
相変わらずだよ

そちらはどうですか
君はどうですか
そちらも九月になりましたか
九月はまだですか

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夏の疲れがどっとでてきたのか、眠い。
いくら眠っても眠り足りない。とにかく眠い。
台風が近づいているせいだろう、蒸し暑さが追い討ちをかける。
にわか雨が通り過ぎてゆく。
相変わらずの毎日が毎日毎日、読み終えた新聞のようにただ積み重なっていく。

松任谷由実 / 青いエアメイル

SEASONS COLOURS-秋冬撰曲集-SEASONS COLOURS-秋冬撰曲集-
松任谷由実
1979


♪青いエアメイル
青いエアメイルがポストに落ちたわ
雨が染みぬうちに急いでとりに行くわ
傘をほほでおさえ待ちきれずひらくと
くせのある文字がせつなすぎて歩けない

ときおり届いたこんな知らせさえ
やがては途絶えてしまうのかしら
けれどあなたがずっと好きだわ
時の流れに負けないの

冬は早く来る あなたの町の方が
最後に会ったときのコートを着ていますか
5年 いえ8年たってたずねたなら
声もかけれぬほど輝く人でいてほしい

選ばなかったから失うのだと
悲しい想いが胸をつらぬく
けれどあなたがずっと好きだわ
時の流れに負けないの

けれどあなたがずっと好きだわ
時の流れに負けないの

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今日みたいな雨の日に、ポストにぽとんと音を立てて落ちる、遠く離れた場所からの気持ちを運ぶ手紙。

ある一時期、ある人に、たくさん手紙を書いた。返事が待ち遠しくて毎日ポストを覗いたりもした。もう何を書いたのかさえよく覚えてはいないけれど、誰かに向けて何かを伝えようとすることで、へこたれそうな毎日を持ち堪えられるだけのエネルギーをもらっていたような気がする。

それを書いている間はその人のことを思っている、というところが、手紙の一番素敵なところだと思う。何をどうやって伝えようか、こんな書き方じゃ誤解されるだろうか、そんなことをあれこれと、その人のことを思いながら書く。メッセージの中身以上に「これだけの時間、あなたのことを思っていましたよ。」ということを伝えようとしていたのかもしれない、なんて今になってそう思う。

柳ジョージとレイニーウッド / 遺言

ゴールデン☆ベストゴールデン☆ベスト
柳ジョージ&レイニーウッド



職場の同僚の父君がお亡くなりになり、お葬式に参列してきた。
長らく闘病生活をされていたせいかご遺族やご友人にも幾許の覚悟もあり、よく晴れた秋の空のようなさっぱりしたお葬式だった。
もう結婚式に呼ばれることも少なくなって、これからはこんな機会の方が増えていくのだろうな、これからはいったいどれくらいの人間のお葬式に参列することになるのだろう、などと思いながら今までお世話になった人や同僚や友人の顔を思い浮かべたりしていたら、ご焼香の順番がやってきた。
生きている間に一度もお顔を会わさなかった方の最後に立ち会う、なんとなく不思議な気分がする。亡くなられた側ではどんな気分がするものなのだろうか?「誰や、お前は?」ってな感じなのか、それとも「あぁ、息子の同僚か、これからもよろしくやってください」みたいな気分になるものか?いずれにしてもこれも何かの縁、と慎ましい気分になった。
昔からしきたりや形式は苦手な方で、葬儀屋が仕切るわざとらしい演出のお葬式などもどちらかといえば勘弁してほしいほうなのだけれど、一人の人間の生きた証としてひとつの節目をつくる作業としての儀式、そのためにたくさんの人間がこの場に集うこと、その場に生まれる共通の意識の連帯感のようなものは、この世の中の善きもののひとつであるように思った。

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俺がいつか死んだら
亡骸を小さな舟に乗せて
生まれたこの街の港から沖に流してくれ

ベイ・ブリッジの上から
流れ星が見えたら Call me again
俺の名前思いっきり叫んでくれよ 大声で

I was born in a blind alley
裏道歩いた俺のたったひとつの夢さ
暗い土の中に埋めないでくれ

風の凪いだ夜に
街の小さな空を雲が流れたら
俺のために歌ってくれ
Vagabond Lulluby

I was born in a blind alley
裏道歩いた俺のたったひとつの夢さ
暗い土の中に埋めないでくれ

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柳ジョージの「遺言」。こんなに男っぽく「俺がいつか死んだら」なんて言えないけれど、そうだなぁ、お葬式で流してほしい曲の選曲くらいはしておこうかな。

中島みゆき / 小石のように

親愛なる者へ親愛なる者へ
中島みゆき



未だNETウォークマンは壊れたまんま。それで、古いカセットテープを整理していたら、ダンボールの中から中島みゆきのテープが出てきた。『臨月』と『寒水魚』と、その当時自分で作った自己編集テープ。1982、3年か。
あの頃の中学生にとってレコードは高かった。レコード(LPレコードだ)を買いたいと思ったら、まず友人に持っていないかを聞いてみる。友人が持っているものは借りて済まして、誰も持っていないものを買う。もちろんレンタルレコード店すらない時代だ。アリスも松山千春もオフコースも甲斐バンドもそうやって入手した。中島みゆきはOという奴が大好きで、彼から全部借りた(奴は今どうしているのか?高校卒業以来音信不通だ、もっとも音信不通なのは僕の方なのかもしれないが)。
傷をつけないように大事に大事に袋から出して、慎重に針を落とす。カセットテープも高価だったからそうそう全部を録音することができなくて、詞をノートに書き写して記憶し(写経か!)、いつでも頭の中で再生できるように聴きこんだ。それでもどうしてもこれは好き、というものだけをテープに一曲づつ録音した。頭出しの機能なんてないから、前の曲の最後を残さず次の曲の頭を切らさずに録音するのは至難の業だった。それでも自己編集テープを作ったりしたのだから、ヒマだけはめちゃくちゃあったのだろう。
ちなみに自己編集テープの曲目はこうだった。

A1 時代          (『私の声が聞こえますか』より)
 2 ホームにて      (『ありがとう』より)
 3 泣きたい夜に     (『生きていてもいいですか』より)
 4 世情          (『愛していると云ってくれ』より)

B1 タクシードライバー  (『親愛なる者へ』より)
 2 根雪          (『親愛なる者へ』より) 
 3 小石のように     (『親愛なる者へ』より)
 4 夜曲          (『臨月』より) 

中学生の割には我ながら渋い選曲してるじゃないか…と思ってしまった。

その頃、時代は大きく変わろうとしていた。中島みゆきは「ネクラ」と呼ばれ、「暗い」「重い」と時代から敬遠されつつあった。メッセージ性のある歌は過去の遺物とされて、軽薄な時代の扉が開いていた。けれど、今聴いてみてどうだろう?その頃もてはやされたシュガー・コーティングされた薄っぺらいポップ・ソングは結局時代の波の中に姿を消し、或いは懐メロとしてただ過去を懐かしむ以外の機能を果たさないけれど、中島みゆきの歌は時代を超えて今も心の奥底まで響いてしまう。人の営みの愚かさやそれゆえの愛おしさはどんな時代にもいつもある、ということなのだろう。

『親愛なるものへ』に入っていた「小石のように」は、カントリーみたいに軽快で、ささやかながらも前向きな希望(もちろんそこへ至るまでの深く暗い絶望もさりげなく触れられているけれど)が歌われていて、失恋やそのことへの恨みや嘆きを取り扱った重く暗い曲の多かった中島みゆきにとっては異色な一曲。この曲は大好きだった。
夢を見て希望を抱いて、街に出て、しかしそうそう夢など簡単に実現するわけもなく、身を削られてだんだんと小さくなって、自分自身の存在価値すらいつか見失ってしまう…そんな人たちを暖かく見守り励ますメッセージを小石の旅に例えた物語。
久しぶりに聴いて、不覚にも泣けてしまった。

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小石のように
山をくだる流れにのせて
まだ見ぬ景色あこがれ焦がれ
転がりだす石は16才
流れはおもい次第

旅をとめる親鳥たちは
かばおうとするその羽根がとうに
ひな鳥には小さすぎると
いつになっても知らない

おまえ おまえ 耳をふさいで
さよならを聞いてもくれない
とめどもなく転がりだして
石ははじめて ふりむく

川はいつか幅も広がり
暗く深く小石をけずる
石は砂に砂はよどみに
いまやだれにも見えない

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むにはまだ早い
石は砂に砂はよどみに
いつか青い海原に

おまえ おまえ 海まで百里
坐り込むには まだ早い
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ
砂は海に海は大空に
そしていつかあの山へ

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もう一曲、大好きだった、大人のための子守唄を。
大人は人前で泣いたりはしないけれど、毎日アリのようにせっせせっせと働いて疲れ果てているのならば、たまには思いっきり泣いてみることも、許されると思う。

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泣きたい夜に
泣きたい夜に一人でいるとなおさらに泣けてくる
泣きたい夜に一人はいけない誰かのそばにおいで
一人で泣くとなんだか自分だけいけなく見えすぎる
冗談じゃないわ世の中誰も皆同じくらい悪い

まるで暗い流れを渡るひな魚のように
泣きたい夜に一人はいけない あたしのそばにおいで

涙だけは大きなタオルでもあれば乾くだろう
けれど心の傷口は自分では縫えない
子供の頃に好きだった歌の名前を言ってごらん
腕の中で聞かせてあげよう心が眠るまで

なんて暗い時代を泳ぐひな魚のように
泣きたい夜に一人はいけない あたしのそばにおいで

なんて暗い時代を泳ぐひな魚のように
泣きたい夜に一人はいけない あたしのそばにおいで

泣きたい夜に一人はいけない あたしの胸においで

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生きていてもいいですか生きていてもいいですか
中島みゆき

上田正樹とサウス・トゥ・サウス [この熱い魂を伝えたいんや]

この熱い魂を伝えたいんや(紙ジャケット仕様)この熱い魂を伝えたいんや
上田正樹とSOUTH TO SOUTH
1975


日本人の演るソウルやR&Bなんて所詮「ごっこ」だと思っていた。黒人音楽に憧れて、スタイルからファッションから何もかもを真似ようとするほどに、残念ながら、なんだかとても滑稽になってゆくのだ。けど、このアルバムに残されたソウルは、本物だ。

「この熱い魂を伝えたいんや、ええか!わかるか!」
若き日のキー坊の熱いシャウトが炸裂する。
ほんとに、心から、ソウル・ミュージックが大好きなんだな、ってことがビシバシと伝わってくる。藤井裕のブリブリとした底から突き上げてくるようなベース、正木五郎のシンプルだけどタイトなドラムス、そしていなたい中西康晴のピアノ、有山淳司とクンチョーのギター。聴いていてゾクゾクする。もし僕がこのときにそれなりの年齢でこのライヴに居合わせたら、きっと人生ひっくりかえったんだろうな、と思わされてしまうような実況盤は、そう多くはない。

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最終電車
どぎっい匂いの香水が鼻をつく
イカした女でもないのに
男の目をひく

最終電車に飛びのって
家に帰るのは もう うんざり
俺から見たら まわりは バラ色……

消えたネオンの街角を手ぶらで
帰りはじめる
すれちがったてんぐ野郎と話もないのに
俺から見たらまわりはバラ色…

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それから、もちろんキー坊は最高にかっこいいのだけれど、このアルバムの白眉は、クンチョーがリード・ヴォーカルをとる"Love me tender"。そう、あのプレスリーの名曲。イントロから渋くいなたくソウル・バラード風に入ってきて、クンチョーがピンと張った声で歌い始める瞬間はいつ聴いてもゾクゾクする。
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Love me tender
Love me tender,
love me sweet,
never let me go.
You have made my life complete,
and I love you so.

Love me tender,
love me true,
all my dreams fulfilled.
For my darlin' I love you,
and I always will.

Love me tender,
love me long,
take me to your heart.
For it's there that I belong,
and we'll never part.

Love me tender,
love me dear,
tell me you are mine.
I'll be yours through all the years,
till the end of time.

Love me tender,
love me true,
all my dreams fulfilled.
For my darlin' I love you,
and I always will.

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Masaki Ueda - Tokyo Express

上田正樹と有山淳司 [ぼちぼちいこか]

ぼちぼちいこか+6tracks(紙ジャケット仕様)ぼちぼちいこか
上田正樹と有山淳司
1975

俺の借金 全部でなんぼや
お好み焼屋の ゆうちゃんから 5000円 借りてきて
全部 パチンコで 負けてもたから
乾物屋の中西に 8000円 借りた
そやから ゆうちゃんに 3000円 返して
2000円 だけ 競馬をやったら
19000円 勝ってしもた
そのなかから 6000円 乾物屋の中西に返して
残りで 飲みにいったら
3600円 足れへんかった
馴みの店やし 明日払うわ 言うて
帰りに車代 1000円 借りた
途中で アルサロの くんちょうに会った          
くんちょうが ポーカーをしようと言うたので
おかまの五郎ちゃんと 朝まで やってしもた
結局 5000円 負けてしもた

あくる日 有山に 6000円 貸した中から
なんぼか 返してくれと言ったら
3200円 返してくれた          

俺の借金 全部でなんぼや
俺の借金 全部でなんぼや
俺の借金 全部でなんぼや

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大阪人=ヤクザ、お笑い、商売人・・・などと揶揄されていた時代がもう遠い昔に思えるほど今や大阪弁は全国区で認知された感があるけれど、それよりもっとずっと昔に、大阪弁でカントリィブルースを邦訳していた男たちがいた。上田正樹と有山淳司の『ぼちぼちいこか』。このアルバムの「とったらあかん」とか「俺の借金全部でなんぼや」の笑いの取り方は大阪人ならではの感がある。検索してみたら、この曲を取り上げて「で、本当は借金はいくらなんでしょう?」とクイズを出すようなブログの記事が思いのほかたくさんあった。それくらい耳に残るインパクトのある歌ではあるが、単なるコミック・ソングではない。この曲のテーマは、つまりは、ユーモアの向こうに滲み出る、どん底の暮らしの悲哀。
1900年代初頭アメリカ南部で生まれたブルースは、そもそもは奴隷労働に従事した黒人たちの、癒しと慰めと憂さ晴らしのため音楽であるわけで、そこには世の中の底辺から見た怒りや笑いがある。もはや笑うしかないほどせっぱつまったどん底の暮らしの中で育まれてきた、それがブルース。上田と有山がこのレコードで表現したのは、スタイルとして真似してみただけののブルースではなく、ブルースのスピリットそのものだったのだ、と思う。

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♪あこがれの北新地

憂歌団 / ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース

yukadan.jpg

憂歌団
憂歌団
1975

関西弁でブルース、といえば、そういやまだ記事にしていなかった、そう、憂歌団。
学生の頃、京都でしょっちゅうライヴ演っていて、何度も見に行った。本当に心の底から笑い、しんみりし、熱くなる、素直に音楽って楽しい、と思えるライヴだった。きっとこのまんまこの先何十年も、くたばるまでブルースを演り続けてくれるのだろうと思っていただけに、解散は本当に意外だった。

ブルース=暗い音楽、という認識が一般的には根強くあると思う。けれど、憂歌団を見ていると、そうじゃないと思う。時には失笑してしまうような滑稽さも含めた、人間の喜怒哀楽すべてを歌う歌、それがブルース。どんなヘヴィな出来事でも最終的には笑ってしまう、笑いとばす、或いは笑うしかない・・・そんな人間の強さも弱さもひっくるめた音楽、それがブルース。そんな意味では日本で唯一無比のブルースバンドが憂歌団だったのだと思う。

大好きな"ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース"。
なんてことはない、物語にすらならない普通の日常の描写なのに、こんなにも泣けてしまうのはなぜなんだろう。

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♪ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース
港が見える小さなパン屋
メリーという名の 女が焼いてる
甘くて、酸っぱい、メリーが焼いたジェリー・ロール
最高の味だよ
ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース
No Mummy
ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース

あんたも一度 訪ねておいでよ
メリーが心こめて 焼いてくれるよ
甘くて、 すっぱい メリーが焼いたジェリー・ロール
最高の味だよ
ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース
No Mummy
ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース

港が見える小さなパン屋
メリーという名の 女がコネてる
酸っぱいにおいの メリーがコネたジェリー・ロール
最高の味だよ
ジェリー・ロール・ ベイカーズ・ブルース
No Mummy
ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース
ジェリー・ロール・ベイカーズ・ブルース

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Yukadan - Chicago bound 1998 Last live

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プロフィール

Author:goldenblue
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音楽から人生へのいろんな示唆を受けてきた。音楽から得たインフルエンスやインスピレーションを通じて人生の機微を語ってみたいと思った。もっとも、文章で語れない想いだからこそ音楽で表現するのであるからして、到底うまく語ることなどできっこなかったのですが。

『音楽と人生に関する一考察』は
2008年3月にて
一旦完結しました。

2008年4月より
『日々の糧と回心の契機』へ

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