Bill Evans [Waltz for Debby]
![]() | Waltz for Debby Bill Evans 1961 |
ビル・エヴァンス(p)、スコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)のトリオによる、61年6月25日、ニューヨークの名門ジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライヴ録音。
10代の頃からロック中毒だった僕にとって、ジャズは小洒落た退屈な音楽でしかなかった。たらたらと冗長なソロを垂れ流し自己陶酔してる人たち、みたいな。それが大きな誤解であったことに初めて気付かされたのがこのレコード。スコット・ラファロの囁くようなベースとエヴァンスのピアノの美しい会話。よりそうようなドラムス(ドラムは音楽の背骨だと思っていた僕は目からウロコが落ちた)。何よりもその3人が作り出す何ともいえない緊密な空気感。あぁ、こういうことがジャズでは表現できるのだなぁ、と素直に感動した。
この録音の10日後にラファロは交通事故死。わずか25歳。エバンスはスコット・ラファロが亡くなったあと何ヶ月も自宅ですらピアノを演奏しなかったらしい。エヴァンスとラファロの活動期間はわずか2年。アルバム4枚。
至福の時は奇跡的に訪れる。そしてそれはあまりにも短い。
♪Waltz For Debby
Bud Powell [Amezing Bud Powell Vol.1]
![]() | The Amazing Bud Powell, Vol. 1 Bud Powell 1949 |
ピアノという楽器はどちらかというと女性っぽいというか、華麗で優雅といったイメージがある。ジャズ・ピアノといわれて一般的に真っ先にイメージするのはチック・コリアやキース・ジャレットのあの感じじゃないでしょうか?バド・パウエルのピアノはそんな華麗や流麗とは対極にある、ごつごつとして男臭く脂ぎった生々しい音楽。パウエルのピアノを聴くたびにピアノという楽器の正式名称は“ピアノ・フォルテ”だったんだよなぁ、と思う。
パウエルの作品からは時折、ピアノの音の後ろで「ウーッ、ウーッ」という唸り声が聴こえる。最初はなんだかわからなかった。パウエル自身の唸り声であると気付いてからますますこの人が好きになった。本当に、心の底から音楽と同化してしまうほどの愚直な男。今起きている目の前の出来事に全身全霊をかけて燃え尽きてしまう男。自分の中から溢れ出るものを必死に鍵盤の上で表現しようとする切迫感がひりひりと伝わってくる。しかもそこに苦痛や悲哀といったものは一切なく、本当に今ある自身のすべてを今この瞬間に表現しようとする純粋さ。パウエルの音楽が心を揺さぶるのは、誰も真似できないそんな純粋さへのあこがれなんだと思うのです。
しかし、そんなピュアでイノセントな男がまともな社会生活を営めるわけもなくデビューから数年で精神を崩壊し、不遇の晩年を過ごした後、41才の若さで亡くなる。けれどそのことを決して不幸だとは思わない。
Bud Powell in fine form here perfoming in Paris December 1959 with Kenny Clarke and Pierre Michelot. The title fits the mood - 'Get Happy'.
Stan Getz [Qualtets]
![]() | Quartets Stan Getz 1949 |
スタン・ゲッツの音楽には羽根が生えている。アップ・テンポな楽曲ではまるで天国へ登っていくかのように雄飛していくそのメロディ。ダウンなブルースでさえ、まるで天使の羽根にくるまれるかのような甘く優しい気持ちにしてしまう。甘いといってもただ砂糖菓子のような甘さではない。心の内から湧き上がる甘い感覚、記憶以前に居たことがあるような何の辛さも厳しさもない世界の思い出のような甘さ。
聞くところによるとスタン・ゲッツは重度の麻薬中毒患者だった。演奏する時は必ずヘロインを打っていたらしい。あの華麗で甘いフレーズの数々は大麻やヘロインが見せた夢の世界だったのだろうか。
スタン・ゲッツについては村上春樹氏の『意味がなければスイングはない』の第4章「スタン・ゲッツの闇の時代1953-54」の文章があまりにも的確なので拙文を書き連ねるよりも引用させていただくこととする。
「彼の当時の音楽には、予期しない時に、とんでもないところから、よその世界の風がすっと吹き込んでくるような、枠組を超えた自由さがあった。彼は軽々と世界の敷居を超えることが出来た。自己矛盾をさえ、彼は普遍的な美に転換することが出来た。」
「彼のすばやい指の動きと、繊細なブレスが奇跡的に紡ぎだす天国的な音楽に、何も言わず、あるときには何も思わず、ただ耳を傾けていたいのだ。」
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Stan Getz played We'll Be together Again
| 意味がなければスイングはない 村上 春樹 文藝春秋 |
Chet Baker [Chet Baker Sings]
![]() | Chet Baker Sings Chet Baker 1956 |
僕がこのレコードを聴きたくなるのは、きまって真夜中の一人の時間だ。
ロマンチックなジャズ・ヴォーカルの名盤として必ずピックアップされるのがこのアルバム。確かにロマンチックだ。けど、うっとり聴き惚れるというよりはぎしぎしと心を締め付けてゆく感じ。そんな、どうしようもないようなこのレイジーさ。隠し切れない孤独と狂気が、甘く、クールでムーディでロマンチックなフレーズの隙間からぽろぽろこぼれ落ちてくる。
クールなトランペッターとして十分名を馳せたチェットが、歌わざるを得なかった理由。彼の中で抑え切れない過剰な何か。それこそがこのアルバムをいつまでも鈍くしかし鋭く光り輝かせている。
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My Funny Valentine
Sweet Comic Valentine
You Make Me Smile With My Heart
You're Looks Are Laughable,
Unphotographable
Yet You're My Favorite Work Of Art
Is Your FigureLess Than Greek
Is Your Mouth A Little Weak
When You Open It To Speak
Are You Smart
Don't Change A Hair For Me
Not If You Care For Me
Stay Little Valentine Stay
Each Day Is Valentine's Day
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ちょっとへんてこなヴァレンタイン
甘くて喜劇的なヴァレンタイン
きみはぼくを微笑ませてくれる
まるで笑い袋みたいにね
写真になんて残せっこない
素敵な芸術作品
ギリシャ悲劇より型ばらずに
ほんの少し口下手のくせに
きみの話はいつもスマート
もしきみがぼくのこと気にかけてくれてるのなら
髪型はそのままでいて
ささやかなヴァレンタイン
いつまでも続いてほしい
そしたら毎日がヴァレンタイン
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Chet Baker in Tokyo ' 87 - My Funny Valentine
Albert Ayler / Truth is marching in〜Our Prayer

Live In Greenwich Village: The Complete Impulse Recordings / Albert Ayler
1967
3月20日フリーカメラマンの鴨志田穣さんが腎臓癌のため亡くなられた。42歳だった。
アルコール中毒を克服して西原理恵子さんと復縁したと聞いていたが、こんな結末もじゅうぶん想定した上でともに暮らしていたんだと思うと泣けてきた。
最後になってしまった鴨志田さんのブログで、こんな会話があった。
「何、何かおもしろい記事でもあったの」
「ああ、これ。行ってみたいと思わない?」
インドネシアの農民がマグロの大型遠洋漁船に乗りこんで、漁師になる、という話だった。
「もともと漁師と違って農民だから金を蓄える。漁民は儲けた金は一晩で使うが、農民は蓄える。土地を買う。牛を買う。次にトラクターを買う。家を建てる。農民は成功者が多いから乗り組み希望者が今は順番待ちの状態だ。日本船も我々も助かる。農民も潤う。良いビジネスだ」
と、現地派遣会社社長の言葉が添えてあった。
「どう、おもしろいでしょ。日本だと『マグロ船に乗るか』が脅し文句だけれど、インドネシアじゃサクセスストーリーなんだよ。まぁ、ステレオタイプの話で失敗した男たちもたくさんいるだろうけれどさ。その失敗した男たちの話ってのを取材したくなってね」
「あんたじゃないの。まんま。あんたの人生そのものです」
「そうかなぁ。お、俺は、俺たちは二人とも漁師だと思ったんだけど・・・」
「あははっ、そうかあ、二人とも漁師だあ。先のことなんて考えられないもんなぁ」
この会話の雰囲気はすごくよくわかる。
そして、二人ともなんて強いんだろうと思う。
(http://www.ozmall.co.jp/entertainment/kamo2/vol15/)
鴨志田さんの訃報のあとから気になっていたのが、毎日新聞日曜日連載の西原さんのまんが「毎日かあさん」。果たして西原さんはこの状況でまんがを書くのだろうか?あれだけ強いヒトだから、書けるのかも知れない。少しドキドキして今朝新聞を開いた。
そこには、「しばらくお休みします」とのお詫び記事。
正直、ほっとした。あの西原さんでさえ、そんなに強くはないものだということに。
鴨志田さんのような、周囲も自らも省みることなく、そのときに自分を突き動かすことに向かって気の向くまままっすぐに生きてきた人生。それはそれでありなんだと思う。周りにとっちゃ大迷惑なんだけど、本人はけっこう幸せに人生を全うしたのかもしれないな。
ここから先は、このブログのためのちょっと強引な文章…
音楽の世界にはそんな無鉄砲な男がたくさんいた。
例えば40歳で肝臓癌で亡くなったジョン・コルトレーン。
クスリに溺れながら比類なき演奏力で自らのスタイルを築き上げ、ヘロインを克服し、自らの世界を確立し、晩年はインド哲学に傾倒し再びLSDに手を出し、オーネット・コールマンやアルバート・アイラーなどのフリー・ジャズに影響を受けた新しいジャズを切り開こうとしていた。
そのアルバート・アイラーがコルトレーンのお葬式で演奏したのがこの歌。
ヴァイオリンも含めた混沌としたフリークトーンと突拍子もないフレーズの嵐の中から、伝統的なニューオリンズのマーチングバンドのようなメロディーが可憐な一輪の花のように浮かび上がってくる刹那が美しい。
http://www.revenantrecords.com/mp3s/Truth_Is_Marching_In.mp3
このノイズの中からぽこっと浮かび上がるメロディの美しさは、例えばさきほどの鴨志田さんと西原さんの会話のような、何気ないけど忘れることの出来ない美しい輝きを放っていて…
人生で本当に美しいのは、こんな何気ない瞬間なのかもしれないな、なんて思った。
Bobby McFerrin / Don't worry,be happy
![]() | Simple Pleasures Bobby McFerrin 1990 |
♪Don't Worry, Be Happy
Here is a little song I wrote
You might want to sing it note for note
Don't worry be happy
In every life we have some trouble
When you worry you make it double
Don't worry, be happy......
Ain't got no place to lay your head
Somebody came and took your bed
Don't worry, be happy
The land lord say your rent is late
He may have to litigate
Don't worry, be happy
Lood at me I am happy
Don't worry, be happy
Here I give you my phone number
When you worry call me
I make you happy
Don't worry, be happy
Ain't got no cash, ain't got no style
Ain't got not girl to make you smile
But don't worry be happy
Cause when you worry
Your face will frown
And that will bring everybody down
So don't worry, be happy (now).....
There is this little song I wrote
I hope you learn it note for note
Like good little children
Don't worry, be happy
Listen to what I say
In your life expect some trouble
But when you worry
You make it double
Don't worry, be happy......
Don't worry don't do it, be happy
Put a smile on your face
Don't bring everybody down like this
Don't worry, it will soon past
Whatever it is
Don't worry, be happy
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僕の作ったささやかな歌
あなたにもくちづさんでほしいな
心配ないよ ハッピーにやろう
どんな人生にもトラブルはある
悩んでたら二倍になっちゃう
心配ないよ ハッピーになろう
安らげる場所がなくなっちゃった
誰かがベッドを持って行っちゃった
けど 心配ないよ ハッピーにやろう
地主が家賃を払えといきまいて
訴訟を起こそうとしてたとしても
心配ないよ ハッピーになろう
僕をごらんよ ハッピーだろう
心配ないよ ハッピーにやろう
電話番号教えてあげる
心配な時はかけておいでよ
僕があなたを楽しませてあげるから
心配ないさ ハッピーになろう
お金もないし
スタイルもない
微笑をくれる少女もいない
けど 心配ないよ ハッピーにやろう
心配な時は顔が曇って
それはみんなの気を沈ませる
心配ないさ ハッピーになろう
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最近CMでまたよくお耳にかかるノーテンキなレゲエ調のこの曲。一瞬楽器に聞こえる音の一つ一つまで全部実はボビー・マクファーリンの声、というのは有名な話。
ドント・ウォーリー、ビー・ハッピーだなんて、なんてシンプルなメッセージだろう。「どんな人生にもトラブルはある 悩んでたら二倍になっちゃう」だなんて、ま、確かにそのとおりなんだろうけど、人間そう簡単にそこまでお気楽になれるもんでもないだろう、なんて突っ込みたくもなる。
でもね、多分、本当にお気楽な人間は決してこんなメッセージは語らない。みんな心配もトラブルもいっぱいいいっぱい抱え込んでるからこそ、こんなメッセージが必要とされるんだと思う。
心配な時に笑顔で振舞えるほど大人じゃないし、そんな風には一生なれっこないけれど、心配したって始まらないことを心配しても仕方ないから…結局、今、自分が本当に思うことをやる以外にないのです。
心がしかめっ面になってきたら、この歌思い出してみることにしよう。
渡辺貞夫 / Wheel of Life〜Spring(All Beautiful days)
![]() | ホイール・オブ・ライフ 渡辺貞夫 2003 |
2003年発表の渡辺貞夫さん、現在のところの最新アルバムの最後2曲は、ホメロ・ルボンバのちょっと古風なアコースティック・ギターと、ナベサダさんのフルートのデュオ。
春の美しさとせつなさをせつせつと歌う短調のもの悲しいメロディ。
ナベサダさんの吹く音は基本的にウェットだ。けれど湿っぽくはない。なんというか、草木の呼吸をたくさん含んだ風のような潤いと優しさがある。ただ甘いだけの優しさじゃなく、人生色々かみしめた上でそれでも何もかも許してしまおう、みたいな優しさがにじみ出てくるような。
音楽という表現は、演奏する人の人となりがそのまま音に出てくるから面白い。普通、70過ぎてフルートなんて吹いたら、もっと渋い枯れた音になるはずなんだけど、ナベサダさんはまだまだ枯れない。その潤いの源には一体何があるんだろう?70過ぎたらわかるかな?もっとも、こんな枯れない爺さんにはなれそうもないけれど。
Jackie McLean [Swing,Swang,Swangin']
![]() | Swing, Swang, Swingin' Jackie McLean 1959 |
ジャズが好きになったのは30も過ぎてからだった。
いまひとつピンと来ないまま敬遠していたジャズに目からウロコが落ちたのは、ビル・エヴァンスやアート・ペッパー、そしてこのジャキー・マクリーンだった。彼らの音からは「ジャズかくあるべし」なんて理屈以前の「うた」が聴こえてくる。音楽にする以外に表現しようのない想いがその一音一音からとめどなく溢れてくる。僕はそこに惹かれた。だから、正しくは「ジャズ・ファン」ではなく「歌の力」の魅力に惹かれているだけなのだと思う。
そんな理由で未だにワン・ホーンのアルバムが好きだ。歌心がまっすぐ届いてくるから。
マクリーンはその長い活動期間の中でいろんなことに挑戦したけれど、一番好きなのはこれ。「素」のマクリーン、サックスを吹くことが楽しくてたまらないマクリーンの姿が垣間見える。ワンホーンでは少しくどいくらいの、時々吹ききり方が怪しいときもあって、全部聴くとややお腹一杯気味だけど、なによりもいいのは底抜けの明るさ。田舎から出てきたての男が都会で田舎弁丸出しで奔放に振舞っているような、素直で素朴であっけらかんとした明るい演奏。マクリーンにはしかっめ面よりそんな朗らかなスタイルがよく似合う。
Art Pepper [Art Pepper meets the Rythm Section]
![]() | Meets the Rhythm Section Art Pepper 1957 |
ワン・ホーンのジャズといえば何をおいてもこのアルバム。
アート・ペッパー、1957年に当時人気絶頂だったマイルス・デイヴィスのリズムセクションを従えてのレコーディング。
まるで5月の新緑のように生命力が漲る素晴らしい演奏だと思う。
このアルバムはペッパーの東海岸への旅行の際に、ろくなリハーサルも行わずにほぼぶっつけで行われたという。それぞれ絶頂期を迎えつつあったメンバー全員の中で何かがスパークし、音楽に生命が宿った瞬間があますところなくパッケージされている。
アート・ペッパーは1925年生まれ。このアルバムを録音した頃は身体は既にヘロインに蝕まれており、この後60年代〜70年代半ばまでドラッグ中毒克服治療の入退院を繰り返したという。その後ドラッグを克服しカムバックを果たしたが若き日の絶頂期の姿を取り戻すことはなく1982年に57歳で死去している。
その人生が苦しみに満ちたものだったのか、それはそれなりに幸せだったのかはわからないけれど、プロの音楽家としては、自分なりにきっちり考えて作りこんだレコードよりも一発瞬間芸的なレコードの方が評価され続けるのは癪だったのではないだろうか?それよりももっと良い音楽を演奏できるという執念があったからこそ、ペッパーはドラッグを克服してシーンに戻ってくることが出来たんじゃないだろうか?なんて勝手に想像するのだった。
若き日の一瞬の輝きがその後の人生を苦しめることになる、そんな人生もある。
けれど、こんな素晴らしいレコードが残されたことを僕は感謝したい。
それはこれから先もずっと、ペッパーの輝かしき存在を証明し続けていってくれる。
ペッパーの若き日の一瞬は今もその時のままスピーカーから流れ出て、聴く人を幸せにしてくれている。それはなんて素敵なことだろう、と思う。
Dexter Gordon [Our man in Paris]
![]() | Our Man in Paris Dexter Gordon 1963 |
プロ野球が開幕して2週間。小学生の頃、兄貴と一緒によく球場に連れて行ってもらったものだった。藤井寺球場のバファローズ戦や大阪球場のホークス戦。そんな馴染みから僕はずっとパ・リーグファン。どちらの球場も今はないし、球団も代わってしまったけれど。
ジャズの世界で言えば、マイルス・デイビスやコルトレーン、ソニー・ロリンズが長嶋や王や田淵だとしたら、僕が好きなのは少しB級だけど味のある、パ・リーグのスターのようなプレイヤーたち。例えば…豪快な長打力で三振かホームランかのジャッキー・マクリーンや、小技を効かしたミラクルを連発するドナルド・バード、守備はかっらっきしだめだけどチャンスにはめっぽう強い指名打者みたいなオーネット・コールマン。
僕の中でのデクスター・ゴードンのイメージは、豪快スイングでホームランをかっ飛ばす長打力もあるけれど、ランナーたまっている場面では犠牲フライもきっちり打てる五番打者。頼れる寡黙な打点王。
デクスターのブロウは男らしさを感じさせる。それも、ほんの少し古臭いタイプの、情にもろくて口下手で、けどいざというときは頼りになるような感じの。例えばブレーブスの長池徳士とか、後にヤクルトへ移籍した大杉勝男とか、そんな「昭和の男」のイメージ。
もうそんな男ももうすいぶん少なくなってしまったけれど。
Kenny Dorham [Queit Kenny]
![]() | Quiet Kenny Kenny Dorham 1959 |
不動のエースやホームラン王よりも、7回の裏一死一・二塁で左打者相手にワンポイントでリリーフしてピシャッと抑えて次へ引き継ぐセットアッパーや、打率こそ2割5分そこそこでも三遊間を横っ飛びしてあっという間にゲッツーに仕上げてしまう遊撃手、みたいな小粒でもぴりりと効いたプレイのできる選手が好きだ。村上春樹氏が『ポートレイト・イン・ジャズ』の中でケニー・ドーハムのプレイを小気味良い内野手に例えているのを読んで、あー、なるほど、と自分がドーハムを好きなわけがわかった気がした。
派手でもなく地味でもなく特別特殊なプレイをするわけでもなく、革新性や斬新な解釈もなく、真っ暗闇になるようなブルーズでもなく、まるで日記に綴る呟きや憧れのように淡々と甘酸っぱく、時に儚げなプレイ。ただ自分らしい表現をシンプルに・・・だけを心掛けてるような感じがぐっとくるのです。とりわけMy Idealのリリカルでどこか甘酸っぱい匂いのする、過度にならないそこはかとないセンチメンタルさが好き。トミー・フラナガン(P)の楚々としたプレイがそれに寄り添う。歴史に残るような名盤ではないが、心に響く好盤です。
Dexter Gordon [A Swingin' Affair]

A Swingin' Affeir
Dextor Gordon
1962
デクスター・ゴードンの代表作といえば「Our man in Paris」か「GO」というのが相場。
このアルバムは、その名盤「GO」と同じメンツ(p:ソニー・クラーク、b:ブッチ・ウォーレン、ds:ビリー・ヒギンズ)で2日後に収録されたセッション、とのこと。どうりでリラックスして気心知れた雰囲気が漂う。技術的に飛び抜けてすごい演奏でもない、解釈の革新性もない、鬼気迫るような情念もない、まるでそこらのバーで演奏しているようなチープさ。
しかし伝わってくるのは、演奏者がこの日のセッションを心地よく楽しんだってこと。演奏の隙間から、メンバーの充実した気持ちがほわっと伝わってくる。「聴き手を楽しませよう」という魂胆見え見えじゃなく「プレイヤー本人がすっかり楽しんでいる」ことが結局聴き手を楽しくさせるのです。
こういうアルバム聴くと、音楽ってやっぱりいいなぁ、って思います。そしてそんなアルバムが数知れず眠るジャズの世界の奥行きの深さに敬礼したくなります。
Paul Desmond [Take Ten]
![]() | TAKE TEN PAUL DESMOND 1963 |
デイヴ・ブルーベック・カルテットの超有名曲“Take Five”。優しげな音色のサックスと複雑なリズムが持ち味のこの曲の作者であり、アルトを吹いていたのが、このポール・デスモンド。
1963年録音のこのアルバム。パートナーにギタリストのジム・ホールを迎えて、ブルーベック時代そのままに複雑なリズムの上で舞うように心地よくサックスを吹き鳴らしてくれる。ソフトな音色で伸びやかで優しげな歌、それはまるで春の訪れのように心を弾ませてくれる。
そしてその中にほんの少し混ざる物憂げな表情。後悔や懺悔や怨恨の色調ではなく、さらりとしたアキラメのニュアンス。春の心地よさがいつか終わることを覚悟しているかのような穏やかな絶望感。今がすべてだ的な暑苦しさとも少し違うし、明日は明日の風が吹く的な無頼とも違う。今を今としてその存在を喜び愛でつつ、それもいつか去っていくのもだという無常観。ある種の達観というか、足るを知るの心構えというか、なんか仏教的なニュアンスですかね。
デスモンドは近年こそ再評価されているけれど、暗く陰湿で深刻なサウンドを賛美しがちなジャズ評論家の間では「イージー・リスニング」と蔑まれてきた。あんな軽いサウンドはジャズじゃない、デスモンドの音楽には魂がない、と。
本人は1977年、53歳で癌で亡くなっているけれど、そんな世間の評価とは無縁なところで、やるべきことをやってきた満足感の中でその人生を終えたのだという気がする。
Stan Getz/Joao Gilberto [GETZ/GILBERTO]
![]() | Getz/Gilberto STAN GETZ / JOAO GILBERTO Verve 1963 |
春っぽいジャズをもう一枚。
ボサノヴァ・ジャズの名作といわれ、親しまれ続けている「ゲッツ/ジルベルト」。ジョアン・ジウベルトの呟く様な声、その妻アストラッド・ジウベルトの天使のような歌声、アントニオ・カルロス・ジョビンの淡々とした堅実なピアノ、森を抜ける風や押し寄せるさざ波のような心地よいリズム隊。そして歌い上げるスタン・ゲッツのテナー。確かに気持ちのよい作品だ。
このアルバムが録音された1963年、スタン・ゲッツは落ち目だった。50年代クール・テナーの旗手として稲妻のようにジャズ界を駆け抜けたゲッツは、クスリでぼろぼろになっていた。新機軸を求めて1962年にチャーリー・バードと録音したのが『ジャズ・サンバ』。このアルバムからは<デサフィナード>がシングル・カットされ、これがポップ・チャートの上位に進出する。ボサノヴァという新しいムーヴメントがおいしいと思ったゲッツは、じゃあ本場のブラジリアンを招いちゃえ!と。ボサノヴァ側のジョアンたちも、世界進出のステップとしてゲッツの参加を受け入れた。録音までになそんな背景があったのではないかしら。
で、いざレコーディングとなると最悪だったらしい。
ジョアンは、ゲッツのテナーの独特の臭みを嫌悪し、ゲッツはゲッツでボサノヴァの微妙なニュアンスを無視して「俺が主役」とばかりに吹きまくって、ボサノヴァの持つ微妙なニュアンスをかき消してゆく。確かに、ゲッツのテナーは、ぼそぼそと呟くような歌とクールなリズムを趣とするボサノヴァという音楽と調和しているとは言いがたいかもしれない。かといって違和感や不協和音とは少し違うこの絶妙のスタン・ゲッツの浮き加減。個人的には、コシのないそうめんのようなさっぱりしすぎる演奏にコクと脂を添えて歯ごたえを作り出しているように思う。
ボサノヴァファンの中にはこのアルバムをこき下ろす人が多いらしいけれど、それはわかる気がする。そうめん好きにコシや脂が邪魔でしかなくって、コシや脂好きならうどんやラーメンを食えばいいものね。
コンビネーションっていうのは本当に難しい。けど、お互いが自己主張を譲らずにぎりぎりの妥協点を見出す中でそのバランスが絶妙な時には、こんなに素晴らしい作品が生まれることもある。
中途半端に相手に妥協してお互いの出来るレベルのことしかしなければそれなりのものしか生まれない。がっつり向き合ってこそお互いがお互いを光らせる関係が成り立つこともあるのだろう、なんて思ったりする。
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Stan Getz, Joao Gilberto & Astrud Gilberto - "Corcovado"
Billie Holiday / A Sailboat in the Monnlight
![]() | A Musical Romance Billie Holiday 1937 |
ビリー・ホリデイ、といえばもう名前だけで伝説化されてしまってて、なんかもうとにかく素晴らしい…みたいな感じがあるけれど。
伝説をとっぱらって耳を澄ましてほしい。
このレコードに収められているのは、1936年〜37年、ごく初期のまだうら若きビリー・ホリデイ。
若いカップルに望まれずに世に産みだされ、人種差別、貧困、レイプ、売春、投獄、麻薬。そんな暗いイメージとはほど遠い、歌うことが嬉しくて仕方がないような少女の姿がある。
届かぬ恋心を月に託すかのような、せつない想いに小さな心を振るわせる少女のキュートでチャーミングな歌声が聴こえてきます。
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A sailboat in the moonlight
And you
Wouldn't that be heaven
A heaven just for two
A soft breeze on a june night and you
What a perfect setting
For letting dreams come true
A chance to sail away
To sweetheart bay
Beneath the stars that shine
A chance to drift
For you to lift
Your tender lips to mine
Some things dear
That I long for are few
Just give me a sailboat in the moonlight and you
A chance to sail away
To sweetheart bay
Beneath the stars that shine
A chance to drift
For you to lift
Your tender lips to mine
Some things dear
That I long for are few
Just give me a sailboat in the moonlight and you
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月明かりの下
小船の上にあなたとふたり
まるで天国みたい
わたしたちふたりにとっては
6月の夜のそよ風とあなた
なんて完璧なシチュエーション
夢が叶うのね
甘い気持ちの岸辺から
船出する時が来たわ
星の光に寄り添って
あなたが漕ぎ出してくれる
やさしいあなたのくちびるがわたしに
ずっとこんなのを待ち望んでたのよ
あなたと月明かりの下
漕ぎ出すための小船がほしいの
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1937年録音。ts:レスター・ヤング、cl:ベニー・グッドマン、tp:バック・クレイトン、p:テディ・ウィルソン、g:フレディ・グリーン、b:ウォルター・ペイジ、ds:ジョー・ジョーンズといった当時のスイング・ジャズのオールスター的な面々。
この頃、ビリー・ホリデイは22歳。
売り出し中のサックス奏者だったレスター・ヤングと運命的な出会いをしたのはこのテディ・ウィルソン楽団でのセッションでのこと。
以後、互いを「レディ」「プレス」と呼び合い心を通わせ支え合った二人は、レスターの徴兵によって引き裂かれ、それぞれの事情でふたりとも麻薬に溺れる人生を送るはめになっていくのだが。
そんな二人が一番輝いていた時期の輝かしい演奏。
二人の惹かれあう姿は、単なる恋仲以上の、なんでもいろんな想いを共有しあえる同志とでもいうべき存在だったことがこの録音からも伺える。
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Billie Holiday and Lester Young
Pat Metheny [Watercolors]
![]() | Watercolors Pat Metheny |
台風が去り、清々しいほど濃い青の空が顔をのぞかせた午後。
風はまだ強く、低い空にある雲がびゅんびゅんと流れてゆく。
その上の高い空を飛行機が飛んでいる。そのまた上のもっと高いところにちぎれたような雲の列。高い空と低い空で風の流れが違うせいで、いつもより空の高さがはっきりとわかる。
川は河川敷を飲み込んで、酒が入って気が大きくなった酔っぱらいみたいにいい気になってごうごうと音を立てている。飲み込まれなかった岸では木や草がぽたりぽたりとしずくを滴らせ、一歩入った路地ではアスファルトのへこみにできた水たまりで光が踊っている。
台風が去った後の景色はそんな風にきらきらと瑞々しい。
パット・メセニーがまだかけだしだった頃の1977年の2作目『Watercolors』は、“Watercolors”“ Icefire”“Oasis”“ Lakes”“ River Quay ”“ Legend of the Fountain ”“ Sea Song”など、それぞれの曲に水にまつわるタイトルが付けられている。メセニーの肉声に近いようなギター、ライル・メイズのきらきらしたピアノ。静かに、しかしとうとうと流れていく地下水脈のようなリズム隊。透明感と浮遊感、風や水が流れていくような佇まい。風や水が体の中を通り抜けて浄化されていくような感覚が心地よい。
パット・メセニーの音楽からは、いつも風景が見える。
何処か懐かしいような、心が洗われるような、そしてどこか儚い、夢で見たような風景。
それは、例えば今日見た、台風が去った後の空のような風景なんだと思った。
Chick Corea [Return To Forever]
![]() | Return to Forever Chick Corea |
朝からセミが鳴いているのに、はっきりしないお天気が続く。梅雨明けはいつなんだろう。もはや夏が待ち遠しい歳でもないし、正直少しでも涼しい方がありがたいのだけれど、それにしてもこのぐずぐず感はいかんともしがたい。
チック・コリアの『Return To Forever』。マイルスのエレクトリック・バンドを離れた奇才チック・コリアが1972年に発表したアルバム。いわゆるクロス・オーバー/フュージョン・ミュージックのはしりと言われ、ジャズを地下室から解放したアルバムと評されているけれど、イージー・リスニング的或いはスーパーのBGM的フュージョンの“さわやかな夏”のイメージで聴くとしっぺがえしを食う。海は海でも、海水浴やサーフィンの夏の海とはほど遠い、どんよりとした色調の暗くくぐもった色の海。
キラキラしたチックのエレピと、フローラ・プリムの天使的歌声、軽やかな小鳥の羽根のようなジョー・ファーレルのフルートが表面的には爽やかで楽園的で心地良いけれど、そして全編を通じて基調音として流れているのは、低くうなるスタンリー・クラークのベースのダークさ。そして、演奏が盛り上がっていくに連れてそれぞれの楽器が歪みゆがみながらたたみかけあいながら怒涛の嵐のような展開になっていく。
一見爽やかな海のジャケットも、よく見れば空は薄曇り。
低く飛ぶカモメは、羽ばたこうとしているのか、それとも堕ちてゆく体を必死で支えて羽ばたこうとしているのか。単に餌を探してうろついているのか。
アルバムを通じて、僕にはこんな物語が聴こえてくる。
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第一章:明け方もまだもう少し遠い真夜中と夜明け前の中間の頃、漆黒の闇の中を船出する船。未知の航海への希望がほんの少しとたくさんの不安を抱えながら。
第二章:曇天の中、夜が明ける。朝日は見えない。波は荒れている。航海の先行きは見えない。
第三章:晴れ間から陽が差し、緑色の風が吹く。花と陸地の臭い、天使の歌声、歓喜と安堵。
第四章:再び曇天。波荒れ、陸は遠のく。束の間の夢。さらに波は高く、先行きの見えないまま航海は続く。しかしもはや不安はない。なんであれ航海は続く。
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そう、なんであれ航海は続く。航海を続けていく上ではいい日もあれば悪い日もある。近づいたと思った陸地が遠のくこともあるし、順調な航路だと思っていたらいつの間にか大きく波に流されていた、なんてこともあるのだろう。目指す進路が正しいのかすらどうかさえ実は怪しいのかも知れないけれど、もはや船からは降りるという選択肢はない。
羅針盤とクルーの腕前だけが頼りの航海。
道路のある旅はなんて便利なのだろう、と思う。地図と標識を見比べればやがてたどりつく道程。けど、僕らが今進んでいる航海には地図も標識もない。
このいかんともしがたいぐずぐず感は、実はお天気のせいなんかじゃなく、確かな道が見えない、確かな手応えがつかめない、そんなもどかしさのせいなのかもしれない。
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Return to Forever 1974
Weather Report [Black Market]
![]() | Black Market Weather Report |
明日から夏休みだ。一週間、仕事を離れる。日々の仕事はある種戦いみたいなもので、体質をある程度酸性にしておかないといけないので、自らを鼓舞するような激しい音が聴きたくなる。或いはその反動でリラックスできる音楽がほしくなる。けど、少し長い休みとなると、呆けたくらいの空気感の音が良い。
そういう意味でも70年代後半のフュージョンは悪くない。
クルセイダーズ、スタッフ、リターン・トゥ・フォレバー、ナベサダ、高中。音楽に興味を持った頃、巷で一番流行っていたのはフュージョンだったからロックだ、ブルースだ、なんて言いながら実はこの手の音楽に抵抗がない。この頃のジェフ・ベックも僕にとってはフュージョン。
文化にはその時代時代の流行り廃りが必ずある。今、優秀なアスリートが野球ではなくサッカーを目指すように、女にモテたい目立ちたがり屋が映画や音楽ではなくお笑いを目指すように、その時代の優れた才能が集まる場所がいつの時代にもあって、例えばこの頃のジャズ/フュージョンもそうだったのではないかと思う。伝統芸能に堕ちてしまったジャズを嫌いそれに反旗を翻した天才マイルス・デイヴィスを慕って集まった、知性と野生を兼ね備えた才能たちは、ジャズの即興性とロックの衝動とクラシックの物語性とファンクのリズムとブルースの魂をごっちゃまぜにして一見煌びやかでその実毒の盛り込まれた音楽を構築した。
ウェザー・リポートもまさに異能の集まりで、ジョー・ザヴィヌルもウェイン・ショーターもジャコ・パストリアスも、とにかくなんだかわけがわからないくらいすごい。それぞれが妥協することなく好き勝手にやっているようで、お互いがお互いをレスペクトしながら火花を散らしあう。その時、個々のエネルギーは増幅しあって、それがまたそれぞれの成長を促す、そんな輝かしい瞬間。
人と人との組合せはなかなか難しい。個々は悪くないのにコンビネーションがお互いを殺すこともあれば、お互いをがお互い刺激しあって、ともに成長しあうこともある。チーム全体がそうなったときはまさに無敵で最強の集団が出来上がる。うちのセンターもあと一歩なのに何かが欠けていて最強の集団になりきれない。個々は悪くないのに、何かが足りないのだ。グルーヴのようなものが。そのマジックは一体何なんだろう…などと休みなのにやっぱり仕事のことを考えてしまった。
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weather report : black market :1978
Brecker Brothers [Heavy Metal Be-Bop]
![]() | Heavy Metal Be-Bop Brecer Brothers 1978 |
70年代ジャズ/フュージョンの金字塔。っていうか、これはむしろファンク。なんなんだ、このぶっとい音は?と思うくらいぶりぶりと迫ってくるベース。タイトで重心の重いどっしりしたドラム。ハイテンションで縦横無尽にうねりまくり、ぎざぎざと鋭角的に上下するフレーズを吹きまくるブレッカー兄弟は、まるで16ビートにのったチャーリー・パーカーとディジー・ガレスピー。大音量で浴びるように聴くと、自分がちびくろサンボに出てくるとろけてバターになる虎になったような気がする、そんな溶けてしまうような熱い演奏。
音楽の気持ちよさには様々な種類があるけれど、素晴らしい表現は常にリズムが良い。単にノリのよさということではなく、スピードの緩急こそあれ、独特のタイム感、リズム感、空気感を持っている、という意味で。例えばどんなに素晴らしい歌詞やメッセージを持った歌でも、リズムが悪ければそのメッセージは伝わらないし、言葉がなくても素晴らしい演奏はなんらかのメッセージをもたらしてくれる。
ブレッカーズのこのアルバムの演奏からは、技術の極限へ挑む彼らのチャレンジ精神、今まで見たことのない地平を目指す心意気、限界を自分で設定しない心の自由さ、みたいなものをたくさん受け取った。そして、見知らぬ地平に挑戦するときは、こんな風に余裕たっぷりで立ち向かうものだということも。
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Brecker Brothers - Some Skunk Funk
Michael Brecker / The Nearness of You
![]() | Nearness of You: The Ballad Book Michael Brecker |
今年1月に白血病で他界したマイケル・ブレッカーが、2001年に発表したバラード・アルバム。
g:パット・メセニー、p:ハービー・ハンコック、b:チャーリー・ヘイデン、ds:ジャック・デジョネットという参加メンバーはまるでメジャー・リーグ・オールスター級。オーネット・コールマンと共にフリー・ジャズの創始に関わり、革新的なセッションに参加してきたヘイデン。60年代から一線で活躍してきてマイルス・デイヴィスの下で数々の実績を作り、自らも新しい時代を開くアルバムを発表し続けてきたハンコック。そしてそんなアルバムには必ずと言っていいほど名を連ねてきたデジョネット。ひと世代下になるブレッカーやメセニーは彼らの背中を見ながら、伝統にとらわれず、かつジャズの核心を失わない優れた作品を発表し、また優れたセッションに参加してきた。そういえばハンコックを除く面々とは、メセニーの[80/81]で既に共演していたりもする。
そんな錚々たるメンバーだが、聴こえてくるのは肩透かしを食らうほどのリラックスした演奏。革新的な音を作ってきた戦士たちのアナザー・サイドともいうべきロマンチックでイントロスペクティヴな演奏が繰り広げられる。マイケル・ブレッカーの持ち味は、コルトレーン譲りの太くて手数の多いフレーズだけど、彼のフレーズには冗長さがひとつもなく周りの楽器との調和に徹していて、このアルバムでも出しゃばり過ぎずに他のメンバーを上手く引き立てている。
実際彼はスタジオ・ミュージシャンとしてのキャリアも長く、ロックからAOR、ブラコン系のものすごく多数のセッションに参加している。このアルバムにも参加しているジェイムス・テイラー。ジョニ・ミッチェルやポール・サイモン、ビリー・ジョエル、ドナルド・フェイゲン、チャカ・カーンにダイアナ・ロス。スプリングスティーンの「明日なき暴走」のクレジットにも名前が見える。売れない時代に留まらず売れるようになってからもいろんなセッションに参加し続けたファースト・コール・ミュージシャン。
このアルバムでも際立つのは、そんな「歌伴」に徹したときの心地よいフレーズだ。
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♪The Nearness of you
It's not the pale moon that excites me
That thrills and delights me
Oh no
It's just the nearness of you
It isn't your sweet conversation
That brings this sensation
Oh no
It's just the nearness of you
When you're in my arms and I feel you so close to me
All my wildest dreams came true
I need no soft lights to enchant me
If you would only grant me the right
to hold you ever so tight
And to feel in the night
The nearness of you
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私をワクワクドキドキさせるものは
青白いお月様じゃない
それはあなたと近づいたとき
こんな気持ちにさせるのものは
甘い会話なんかじゃない
それはあなたと近づいたとき
あなたは私の腕の中
あなたをこんなに近くに感じて
私の途方もない夢は叶えられたから
あなたを誘惑する柔らかな光も今はいらない
きつく抱きしめあったり、夜を感じたりするために
あなたが私に授けられたのだとしたら
ずっとあなたと寄り添っていたい
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周囲の色を常に気遣いながらその中で自分らしさを発揮することは、簡単なようで難しい。それでいて彼しか出せない個性の強い音をいつも出している。
「俺が、俺が」はもういい。誰かの力になりながら、そのことが自分の喜びにもなる関係を素敵だと思う。
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![]() | 80/81 Pat Metheny |
Brecker-Metheny-Every Day I Thank You
Marc Johnson [The Sound of Summer Running]
![]() | Sound of Summer Running Marc Johnson 1998 |
真夏のよく晴れた青空の下、川沿いの公園の木陰で、このアルバムを聴きながらうとうと。
夏休み、って感じです。
パット・メセニー、ビル・フリーゼルという、タイプの全く違うようで、ジャズに留まらない汎アメリカ音楽的な表現力の広さといった共通点を持つ二人のギタリストを従えたこのアルバム。繰り広げられているのは、カントリィからフォーク、ジャズ、ブルース、そしてロックンロールまで、すべてのアメリカ音楽が絶妙にブレンドされた、オール・アメリカン・ごちゃまぜミュージック。
浮かんでくる情景は、少年時代の夏休み。夏休みの少年たち。
セミ捕り、カエル捕り、ザリガニ釣り、三角ベース、自転車レース、空き缶ボート競走。ひっかいて、転んで、虫に刺されて、すりむいて、泥んこになって、水びたしになって。
小学生の頃はいつもこんな風に無邪気に、野山や川原を駆けずり回っていた。毎日が永遠に続いていくかのようだった。怖いものなんて何にもなかった。
あの頃は、なんて思わない。今も、じゅうぶんにやんちゃ坊主のまんまだ。駆けずり回る場所は野山じゃなくなっても。
なんだかわくわくするね。
トム・ソーヤーにでも会いに行けそうな気分。
Lee Ritenour & Larry Carlton [Larry & Lee]
![]() | Larry & Lee Lee Ritenour & Larry Carlton |
♪Larry Carlton & Lee Ritenour - Room 335
日本国内に旅行に行くつもりはない。沖縄か北海道以外は。
理由は簡単、“気候”が変わらないから。寺社仏閣や有名建築物などの名所旧跡にも、美しい風景にもあまり興味がないから、日本国内ならどこへいっても同じように感じてしまうのだ。気温や風土は変わっても、日本独特の湿気を含んだ“気候”は残念ながら変わらない。それならいっそ、気候の違う国の音楽を部屋一杯に流したほうがまだ旅行気分を味わえる気がする。
例えばこの、リー・リトナーとラリー・カールトンの95年の共演盤。
リー・リトナーとラリー・カールトンは、フュージョンが時代を席巻した当時の2大ヒーローでありライバル同士だった。けれど、それぞれが独自の流儀でそれぞれのアプローチを展開しており、同じファン層でありながら決して相容れないようなものがあった。吉田拓郎と井上陽水とか、江川卓と西本聖とか、ビートたけしと島田紳助とか、中森明菜と小泉今日子とか、或いは村上龍と村上春樹、そんな感じ?だから、この二人の共演にはびっくりしたし、聴く前には正直、「NHKの『ふたりのビッグ・ショー』かよ!」なんて思ったりしたのだけれど、聴こえてくるのは、いわゆる企画モノにありがちな金儲けやわざとらしさの匂いのしない正直な音。ライバル同士の“ギター・バトル”なんて熱い展開ではなく、お互いがお互いの長所をそれぞれ認め合い引き出しあうかのようなリラックスした心地よい演奏。本当にお互いがお互いと共演することを必然としていたのだなぁ、と感じさせる音。
若い頃は、身の回りにあるものを何でもかんでも吸収して自分の中に取り入れながら自分の可能性を見つけてゆく。そんな時にライバルの進み方を横目で見ながら「あいつがあっちなら俺はこっち」というふうに自己を規定してゆくことがある。そんな風にしてそれぞれがそれぞれの揺らがない確固たるものを見つけた後には、そのライバルに「もしかしたらそうなっていたかもしれないもう一人の自分の可能性」を見てしまうのかもしれない。そして、そのライバルと共演することが、改めて自分自身が歩んできた道程や得たものの確かさを確認する場所になる。二人がこのアルバムを録音した50代というのはそんな年齢なのかもしれない、などと想像してみたりするのだが実際のところどうなんだろうか。
スピーカーからは、西海岸カリフォルニアのさわやかな空気をそのまま持ち込んだような、湿気の少ない音色の伸びやかなフレーズの音楽が鳴り続けている。新聞やTVのニュースに溢れる世界の現実の暗さなどまるで存在しないかのような、能天気で心地よい世界。
たまにはこんなのもいいだろう。
大げさな話、個人としてのささやかな幸せの追求だけが、壊れかかった世界を救うのかもしれない、などと本気で思ったりしている今日この頃なのだ。
Rahsaan Roland Kirk [The Inflated Tear]
![]() | The Inflated Tear Rahsaan Roland Kirk 1967 |
誰の著書だったか忘れたけれど、自らの書物の嗜好についてこんなことが書かれていたのを読んだことがある。
自らの書物の嗜好を把握するのに有効な方法はとにかく手当たり次第に読むこと。面白いものと感じたものはより深く、その関連作品にも手を伸ばしてみる。読んでみて読み進まなかったものは、自分に合わないか、まだそれが吸収できる時期ではないので一旦パスする。その手順はまるで暗闇に弓矢を射るようなもので、手当たり次第に読み飛ばしていくうちに的に当たったものだけが残って嗜好の輪郭が姿を現す、といったような内容だった。音楽についても同じことが言えるけれど、特にジャズの奥深い深遠な森のような世界の中で自分の嗜好を知るにはこの方法が一番。
そんなわけで片っ端からいろんなジャズを聴き漁ってはみたけれど、そもそもがロックやソウル好きの僕にとって、僕の心の琴線に触れるジャズは、どうも少し好みは偏っているらしい、ということがわかった。いわゆるモダンジャズの大きな流れの中ではこぼれおちてしまうような人が好きだ。
その一人がこの人、ラサーン・ローランド・カーク。
幼い頃に視力を失った盲目のホーン奏者。一度に3本ものホーンを咥えて吹き鳴らすとか、晩年は半身不随になりながらもステージに立ち続けただの、異能の人めいた伝説ばかりが残っている人、そしていわゆるジャズの正史には出てこない人だけれど、この人の鳴らす音はとにかく黒い。
ジャズが輝いていた時代には、常にその時々の最新型の表現方法があった。その時代の一番ヒップなミュージシャンがそこへ集まると、次はその一番最先端だったスタイルにカウンターを打つようにしてもっとクールでヒップなスタイルを作る…そんなふうにして進化してきたのだけれど、その過程で忘れ去られてしまった、黒人音楽としての本質=ブルース、がカークの音楽の中では失われていない。例えばこのアルバムの一曲目“Black and crazy blues”。400年前に奴隷商人によってアフリカからアメリカへ連行されてきた人々が、ほそぼそと語り継いできたわらべうたのメロディーや太鼓のリズムをそのまま受け継いできたかのような黒さ。そしてリズムの確かさ。
時代と共に移り変わる最先端の表現方法とはまったく別の場所で、自らの心のうちから湧き出てくる、音楽でしか表現する方法がない思い。ジャズであれロックであれソウルであれ、本当に心が揺さぶられるのはそんな音楽だ。それが、暗闇に弓矢を放ち続けた結論。そしてそこに浮かび上がる輪郭は、単に嗜好の問題ではなく、僕自身の輪郭でもあるのだと思う。
Rahsaan Roland Kirk
Doller Brand [African Piano]
![]() | African Piano Dollar Brand 1973 |
サッカーの国際試合では国歌斉唱がある。「国歌」については様々な物の見方や考え方があるとは思うしそのことを否定するわけでも肯定するわけでもないのだけれど、あのような場で聴こえる『君が代』はいつも音楽的に異質に感じる。ほとんどの国が西洋音階の、例えばマーチングバンドが演奏しそうな楽曲を採用している中で、民族的伝統の音階を採用しているからだ。
それぞれの民族にはそれぞれの民族的音楽がある。そして西欧的価値観と民族的価値観の折り合いをつけながら新たな文化がそこでは常に生みだされている。そんなことを考えるきっかけになったのは、このアルバム。南アフリカ出身で、後にイスラムに帰依してアブドゥル・イブラヒームと名前を変えた、ダラー・ブランドというピアニストの1973年の作品だ。
初めて聴いた時は、よくわからない退屈なピアノソロがひたすら延々と続くだけで「こりゃ失敗した」と正直思った。もっとアフリカっぽい熱くファンキーな音を期待していたのだ。長い間棚にしまいこんだままになっていたこのレコードの凄さがじわじわとわかってきたのはずいぶん後になってからだ。
この退屈なメロディは、実はメロディーではなくアフリカの太鼓をピアノで再現したもの。そして左手は、ひたすら同じリフを延々と繰り返し、永続する太鼓を使った祝祭の儀式を象徴していると思う。だとすれば、まさに西洋音楽の様式とはまったく出発点の異なる、言葉どおりの“アフリカン・ピアノ”なのだ。
今や西洋的価値観は世界中に進出し、それこそが絶対正義であるような論理を僕らは信じて疑わないけれど、元々世界には色んな価値観があった。西洋的価値観は確かに民主主義・市民社会を世界へ浸透させ人々を解放したけれど、同時にその土地に元々あった土着的民族社会や村落社会・家族社会を破壊してしまった。西洋的な便利さが各々の民族の持っていた風習を風化させ、大量消費型の社会を世界中のすべての人が享受するのはもはや不可能と地球が悲鳴を上げている。
例えばイスラム系のゲリラ組織によるテロ行為や、今回のアフガニスタンでのタリバンによる拉致事件。決して許されることではないしイスラムの教義的にもはずれている非人道的な行為だけれど、そんな行動を起こさざるを得ない背景にある非西洋的価値観をもっともっと知りたいと思う。
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Abdullah Ibrahim - Ishmael (part)
Ornette Coleman & Prime Time [Virgin Beauty]
![]() | Virgin Beauty Ornette Coleman & Prime Time 1988 |
オーネット・コールマンとの出会いは、山積みにされた中古レコードだった。まだジャズに詳しくなかった頃、何となく名前を聞いたことがあるというだけで手に取ったこのアルバム。
のっけから脳天気なサキソフォンが、今まで聴いたことのないようなフレーズをプーパカプーパカ、プーパカピー。なんじゃこりゃ?と思っているうちにいつの間にか背中から羽が生えて天使になったような気分になってくる。まさに『天国の音楽』とでもしかいいようのない、無国籍にして摩訶不思議なリズムとメロディー、柔らかな音色でよく歌うフレージング、しかし脳内物質出まくりの癖になるサウンド。
オーネット・コールマン=フリージャズの創始者。一般的にはそう認知されている。メロディーも音階も無視した怒涛のエネルギーの塊のような破壊的な音楽=フリー・ジャズ。常識や定説を否定し新しい価値観を創造する…そんな時代の思想に後押しされた革命的なムーブメントは、結局のところ長続きはしなかった。音楽としての基本的骨格まで破壊してしまった後に残ったのはただのガラクタのような騒音でしかなかったからだ。そんなわけでフリー・ジャズは衰退したけれど、オーネットだけは生き残った。それは、彼の紡ぎ出す音楽が、音楽としての美しさを持っていたからに他ならない。
オーネットの吹く、何ともいえない独特のメロディ。それはまるで彼の頭の中でなっている音楽をそのまんま吹いてみました、みたいなメロディ。世間の常識やモラルやいわゆるパターンとはまったく無縁な場所から、自分の頭の中で鳴っている音をそのまんま形にしてみたらこうなった、みたいな。どこかリズムも音程も狂っているみたいで、おそらくクラシックを勉強してきた音楽の先生なら認めないような種類の音楽。常識やモラルから完全に解き放たれた子供のままの心を持った天才だけが紡げる音楽なのだと思う。
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Ornette Coleman and Prime Time 1988
George Adams [America]

AmericaGeorge Adams1985
George Adams Quartet - Have You Thanked America?
ジョージ・アダムス、まるで初期のアメリカ大統領にでもいそうなベタベタな名前を持ったサックス奏者。コルトレーンやアルバート・アイラー直系のテクニカルでややフリーキーなフレーズを野太くてソウルフルなトーンでスピリチュアルに吹きまくる。1992年に亡くなるまでMt.フジ・ジャズ・フェスティバルに毎年出演し、日本でもそれなりに人気があったらしい、ということはずいぶん後になって知った。
そんなジョージ・アダムスが晩年に録音したこのアルバムに描かれたのは、古き良きアメリカの田園風景。
小麦が金色に輝き、ピック・アップ・トラックが行き交い、麦藁帽子をかぶった黒人のじいさんがウイスキー片手にたむろする。贔屓の野球チームの勝ち負けに一喜一憂し、誰彼構わず馬鹿げたアメリカン・ジョークを連発する。たぶん何かの映画で見たことあるような、アメリカの光景を、「テネシー・ワルツ」やら「故郷の人々」「我が心のジョージア」など、アメリカ人のみならず日本人でも多くの人がよく知っているスタンダード曲を、ゴスペル風のぶっとい音色で、泣きのこぶしまわしで演奏する。
ひょっとしたらこれは、ものすごくお手軽な企画モノなのかも知れない。「天童よしみ、ひばりを唄う」とか、「氷川きよしの昭和名曲集」みたいな感じの。元々このレコードの企画元は日本のレコード会社らしい。ステレオタイプなアメリカのイメージを黒人のサックスで…みたいなベタな企画。「スシ、芸者、禅、忍者、武士道」といったような海外から見た日本への誤解イメージと同じように、ここで描かれたのは、リアルなアメリカではなく、外の人がイメージするアメリカの田舎の風景なのであって、そのこと自体が実はファンタジーに近い。
けれど、彼のサックスから湧き出る情感というか、匂い、音の一つ一つに込められたうたごころは本物。鼻持ちならない商業主義をすら軽く超えてしまうサムシングがある。彼が吹くと、そこに、本当は幻かもしれないアメリカの田園風景が出現するのだ。そんな音楽のマジックに僕は感動する。
Dave Brubeck [Park Avenue South]
![]() | Park Avenue South Dave Brubeck |
深まりゆく秋の休日には、例えばこんななんでもないジャズ。
ボリュームを少し絞って、穏やかな空気で部屋を満たしてみる。
このところいろいろと忙しかった。今日は完全休養だ。
2003年録音の、ニューヨークのコーヒーハウスでのライヴ盤。
中古屋でなんとなくジャケット買いしたのだけれど、実に良い味わいの音が鳴っている。秋の日の陽だまりのようなやさしいタッチのピアノ、それを温かく見守るようかのようなオーディエンスとの親密な空気感がいい。
このとき、デイヴ・ブルーベック、既に83歳。
老いて昔話を語るでもなく、今の若い者はと説教を垂れるわけでもなく、まだまだ若いもんにゃ負けんと気負うでもなく、さらりと自然体で飄々と軽快に、素敵な音楽を奏でてくれる。
もちろんただ美しいだけの退屈な音楽じゃない。ブルーベックはクラシックや現代音楽の素養があり、理知的で上品な音を出すけれど、クラシックが演りたけりゃクラシック畑で演っているわけで、ブルーベックが演りたかったのはあくまでジャズなのだ。このアルバムでも、ここぞというときにスパッとスパークするようなジャズでしか味わえない一瞬は健在だ。
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Brubeck - Take 5 (live 2004) - part I
Brubeck - Take 5 (live 2004) - part II
Charlie Haden & Pat Metheny [Beyond the Missouri Sky]
![]() | Beyond The Missouri Sky (Short Stories) Charlie Haden & Pat Metheny 1997 |
いつもどこか懐かしさを感じさせるようなメロディを紡ぎ出すパット・メセニーと、ベースの詩人チャーリー・ヘイデンの、1997年のデュエット・アルバム。ひとまわり以上も年齢差のあるチャーリーとパットは、ともにアメリカ中西部・ミズーリ州の生まれなのだそうだ。
このアルバムに寄せたパット・メセニーのコメントにはこうある。
「この地理的な偶然の一致が、チャーリーと僕が長年いっしょにプレーすることになった事実に関係しているのかどうかはわからない。でも、音楽の可能性に対する熱意や、率直な態度や好奇心といったことに対して僕たちがたくさんの共通点を持っていることはわかっている。こういった部分は、人格形成期に、アメリカの中核をなす土地で音楽の夢を見ながらミュージシャンとして成長したことで培われたのだと思う。」
このアルバムで奏でられるのは、そんなミズーリ州で過ごした日々の気持ちなのだろうか。
広がる平原と夕焼け空のアルバムジャケットがこのアルバムを象徴しているように思う。
センチメンタルでしんみりとした哀愁のメロディ。それとともに、今日一日への感謝や、明日への祈り…明日も楽しい一日が待っていることを期待するようなワクワク感、或いはそんな願い…が織り込まれているように聴こえる。まるで少年時代に一日の終わりに「あーした天気になーぁれ!」と呟いたときのような。
秋の夕暮れにしんみりしつつ。
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Pat Metheny & Charlie Haden! Two for the road

























